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#6バンドゥーラとの出会い

幼児のウクライナ舞踏団にいかにして入団するか?

非常に難しい問題だと思う。自分に子供がいたらその子が入るべき年齢の集団。しかし、成せば成る。やらねばならぬ。何事も。適当に自分の「子供を入団させるグループを探していますが、先ず自分が入ってみて納得できるかどうか試したいのです」当時は本当にそんな事を考えていたと思う。何よりも情熱が先走りしすぎていた。

昔ミクシーの日記にも書きましたが、習い事の男女比率と言うものがあるのです。男の集団はスポーツが中心。そして女は歌と踊りとが中心になろうか?その女の中心に男が入っていくのですから、向うが喜ばないはずがありません。しかし相手が幼女ではどうでしょう?

私見から、日本における幼児のバレエの男女比を考えると、その比率は50:1位ではないかと思う。要するに男一人に女50人と言う、男にとっては夢のようなパラダイスが待っている。でもそれは年齢とともにその比率は変わるが。どんなに頑張ってもバレエの男女比は20:1以上にはならない。何故か?女の子にいじめられるからだそうだ。

本来ならば50分の一の確率でダンスのペアを組めるチャンスが来たら、たとえ踊りが下手でも感謝すべきだが子供は残酷です。幼少時代は成長の早い女の子が男の子の心を傷つけてしまうらしい。

男の子はサッカーとかをしたいところだけれど、母親の夢を叶えるべく行きたくもないバレエをさせられている。そして外では男の子からの虐めが待っているのだ。

翻ってウクライナダンス。子供が何かを始めるのは基本的に親に連れて行かれて始める場合がほとんどです。ウクライナダンスもほぼ例外なく同じ過程をたどります。それがバレエのような悲惨な比率にならないのは、そこに民族文化としての背景があるからです。

カナダで子供が参加できるウクライナダンスのグループは、教会と関係しているところが多い。もちろんウクライナ教会です。教会ではもちろんウクライナ語での説教をして、日曜学校では聖書の授業にウクライナの歴史などの勉強もあります。(それを某国正教などと思わないように。エドモントンにはそんな言葉も無いし、ウクライナ正教は本国ウクライナでも中心から東方面にしかないのです)

さらに教会の文化活動の一環としてウクライナダンスを取り上げる事が多いのです。そう言う環境の中では安心してウクライナダンスを習うことができる。後に私もダンサーとして子供たちの前で踊った事も何度かありますが、成人男性が踊るウクライナダンスのそのかっこいい事!

その迫力に子供たちは憧れを持つようになります。「僕の体の中にもあのコサックの血が流れているんだね」そう思った男の子達はもう他からの虐めがあっても平気。むしろそんな事を言うような人がいないほどウクライナダンスは普及しています。
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Date: 2012.05.28
Category: 私とバンドゥーラ
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レコーディング

テレビ局のスタジオでレコーディングしてきました。
リヴィウのテレビ局


リヴィウ市の山の中にある全国ネットのテレビ局です。
львівське телебачения

木曜日にその話が出て日曜日に決定の後、今日の月曜日の午後6時にやることが決まりました。ウクライナの国営放送局なので人気が無く、誰も見ないテレビ番組を作っているらしい。そうは言ってもテレビ局、美人の出入りが多い!

そのテレビ局はリヴィウ市にある有名な山で、ヴェソーケィ・ザモック(高いお城の意味)の中腹にある。この山の電波塔がその放送局で使っているアンテナになっています。流石にソビエト時代に作られたらしくその見晴らしのいい場所と言い、
立派な設備(夜は特にライトアップされる豪華な前時代のアンテナ)が整っていました。

スタジオに入ると丁度歌の録音をしている最中なのか、若い女性歌手が大きな声で歌っていました。英語の歌とウクライナ語の歌の両方が聞こえた。ミキサー室へ出てきて私にスタジオへ入るように指示しました。ミックスダウンを始めるのだろうか。

今日は久し振りに暑くて、おまけに路面電車が路上駐車の車に堰き止められて途中で止まってしまいました。仕方が無いので私は暑い中でバンドゥーラを担いでえっちらおっちらやってきたわけです。当然チューニングは狂っていてスタジオで落ち着いて音合わせをしました。

やっているうちにそのエンジニアが出入りしていて、私のチューナーの使い方を直してくれました。チューニングの時に音の合った弦のオクターブ上か下の弦を合わせるとき、チューナーの針を見ながらやっても駄目だと言う事でした。チューナーは一つの音しか拾えないため、両方の音を同時に弾くと(同音のずれがある)チューナーは判断に困ってしまい、従ってた正しい音を表示できなくなると言うものでした。

この場合は基音に合わせるときにはチューナーを使い、オクターブ合わせるときは耳だけに頼るのがベスト。と言う帰結となり、流石はレコーディングエンジニアだなあ!と思いました。

+++++++++

こうして書くといかにも凄い事をしていると思われるでしょうが、実はこの話には裏があったのです。

数ヶ月前にバンドゥーラ工場の社長から電話があって、リヴィウ市のお祭り「リヴィウの日」に市庁舎前の野外ステージで演奏して欲しいとの依頼があったのです。しかしこの社長、これまでにも「ラジオに出てくれ」とか「プロモーションのための演奏を頼む」などと口ばかりでした。

しかし、とは言え市の祭りで演奏すると言うのは大変な名誉でもあり、それなりの準備をしないといけないと言う事でレッスン内容をその演奏のための準備に切り替えたのでした。

これはこれで物凄く為になり、演奏を指がするのではなくて、頭で考えてそこで初めて音を出す。音の意味を考える、言葉の意味を考えるなど、レッスンはコンサートまでのわずかな時間の為に非常に厳しいものとなりました。

社長はそれまで何度も演奏の確認をしてきていたのですが、演奏の数週間前になってから連絡がなく、仕方なくこちらから確認の電話を入れてみました。すると主催者側と何か揉めているらしく3日前にきちんと返事をすると言う事でしたが、結果として電話はかかってきませんでした。チャンチャン!

先生は折角ここまでやったのだからその曲をレコーディングしてみてはどうか?と言ってくれたのです。しかしそんな事は経験も無いし、ましてやレコーディングをする自信も無いので断ると、まあとにかく次のステップとしてやって見なさいと言う事でした。断るのは簡単ですがいろいろな経験を積むのも丁度いい機会ではないか、と思ってセットアップをお願いしたと言う事だったのです。

レコーディングをしてみると予想以上に新しい経験が出来ました。何よりも演奏に対する自信がついたというのが一番大きかったと言えます。

レコーディングエンジニアの「ボフダン」英語が出来るので助かりました。
レコーディングエンジニア

その夜先生から電話が来てうまくレコーディングできたかどうか聞いてくれました。そしてこの勢いでウクライナ語の歌つきの曲をもう一曲頑張ってやろうと話がまとまりました。

こうしていろいろな人に支えられながら日々を過ごしているのです。
とてもありがたいことです。
Date: 2012.05.21
Category: 私とバンドゥーラ
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#5バンドゥーラとの出会い

電話に出たダンスカンパニーの受付嬢が私に質問した。

「ウクライナダンスの経験はありますか?」

ウクライナダンサーとなってステージ上空を飛び跳ねて、さてはコサックダンスの中腰で足を交差するダンスで、1万人の会場から大喝采を浴びる、高級外車から巨大劇場のレッドカーペットの上へ降りると、女の子からキャ~キャ~言われ追いかけられて、、、

そう言う私のささやかな夢が上の質問で木っ端微塵となった。

考えてみたら当たり前ですね。トップグループが人を採用するためには経験が無ければ勤まらない。そんな事も忘れてしまうくらいに私はウクライナダンスに陶酔していたのです。

「ウクライナダンスの経験はありませんが日本舞踊ならできます」(因みに盆踊りはプロ級)すると受付嬢は「バレエの基礎はありますか?」と聞いてきた。幸い私はタップダンスの基礎とジャズダンスの基礎をある程度習ったことはある。

バレエは、実は何を勘違いしたのかニューヨークでタップを習ったついでにバレエの基礎を一日だけ受けた。(あのときの恥ずかしさはとても説明できない。何せ30人くらいの美女に混じってたった一人の日本人だから目立つ目立つ。おまけに慌てて買ったバレエ用のタイツのサイズが合っていなくて、色も白で、、、分かる人には分かる)

二大トップのウクライナダンスを諦めなければならなかった。次点のグループは返事をくれないのでどうしようもない。しかし先の受付嬢はアダルトグループを薦めてくれた。アダルトとは、要するに社会人ウクライナダンサーの集まりなのです。

トップを夢見ていた私にとっては大変な屈辱ではあったが、背に腹は変えられぬ。とりあえず見に行くだけ行ってみたのである。しかし期待と裏腹に大切な男性のソロは無くて、私の希望していたアクロバティックな、飛び上がったり、まわったり、コサックをするダンスとは程遠いい。

作戦を練り直す事にした。先ずは通える範囲にあるウクライナダンスカンパニーをリストアップし、片っ端から連絡をしていけばいいと思った。幸いエドモントンにはそう言う情報がそれなりにある。もう10年以上も前でしたが、その頃でさえ30以上のカンパニーがあった。グループを調べて名前、場所、電話番号を書いて、それに従って電話し続けてみる。

数箇所から色よい返事があった。興奮を抑えきれずにその場所へ向かうと、どうも様子が変でなにやら親子連れが目に付く。週末だからなのかな~~?と思っているうちにここは幼児のためのウクライナダンスカンパニーである事が分かった。

トップグループを諦めた理由はウクライナダンスの経験が無いためなのでした。ならばここで経験を積んで行けば文句はあるまい!そう思って入団を決めようか考えているうちに一つの張り紙が目に付いた。

「バンドゥーラ教えます」

「けッ!あの根暗の楽器か。習いたい奴なんかいないよ~ん」そう心で思った私は、いかにして子供のグループに潜入するかを検討し始めたのだった。
Date: 2012.02.24
Category: 私とバンドゥーラ
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#4バンドゥーラとの出会い

ウクライナダンスをやることにしました。

ウクライナ文化の感動を日本に伝えるにはホームページを立ち上げるしかない。しかし立ち上げたとしてもウクライナ文化に対しての疑問が次々と出てきてしまう。もとより舞踏を観劇しているだけなのでそれ以上の深い部分について掘り下げる事ができない。

そう、ウクライナダンスをやるしかないのだ。単純明快な私は思い込みも激しく、夢はトップダンサーになることになってしまった。そうと決まれば話は早い。トップダンサーなのだからトップグループに入るのが近道です。

ウクライナダンスの状況について説明します。ウクライナダンスは本国ウクライナが一番多いと思うのは間違いです。質量ともにカナダが一番。理由はウクライナ移民が多いのもその一因です。もう一つはカナダという国がそれぞれの移民の国の文化を大切にする姿勢が後押しをして、コミュニティの文化遺産保護の姿勢にある。

例えば、私が初めてウクライナへダンス講座で行った2005年には、アルバータ州は助成金として飛行機代くらいはポンと出してくれたのです。その他、カナダにおける巨大なウクライナ祭りも、グループの海外遠征公演も、CDの作成やイベントの主催事業も、その多くを助成金で賄えるという点が非常に大きい。

もう一つはウクライナから移民してきたダンス関係者がカナダ西部に多いというのもあります。その逆の現象としてカナダ東部はダンスに弱いが世界的なバンドゥーラ奏者がいて、バンドゥーラのレベルは非常に高い。翻ってエドモントンやアルバータにはバンドゥーラを弾く人が、もう本当に片手で足りるくらいに少ないのです。

エドモントンのトップクラスのウクライナダンスグループに電話をかけることにしました。一番はシムカ。名実ともにトップクラスであり、そのダンスを観てしまったらもう中毒になるほど。エドモントンに住むカナダ人でウクライナについて何も知らない人でも、ウクライナダンスの事を「シムカ・ダンサー」と言うほどです。

そして次が前回ビデオを紹介したチェルモッシュ。ここのグループの特徴は伝統的な踊りしかやらないところ。上のシムカなどはシンデレラの話をウクライナダンス風にアレンジしたりしているけれど、伝統を重んじるならここ。「チェルモッシュ」

そして次点としてヴォホンヴォリャなどがあります。電話をかけて見て驚いた事は、シムカもチェルモッシュも事務体勢がしっかりしていて電話での応答もプロであった事です。なぜかというと次点のヴォホンやヴォリャは何度電話しても留守番でかけなおしてくれなかったからです。(偉大なダンサーを参加させるチャンスを失ったわけです)

ということで焦点は2大トップのシムカ(ホームページ)とチェルモッシュ(ホームページ)になりました。

しかし事態は予期せぬ方向(または当然の帰結)に向かいました。
Date: 2012.02.24
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#3バンドゥーラとの出会い

ウクライナダンスを観るたびに躍動感に浸ることができた。
チェルモッシュ・ウクライナ舞踏団・エドモントン

この感動を何とか日本に伝えなければならない。これが本物のコサックダンスだという事を伝えなければならない。コサックダンスとはウクライナダンスそのものであることを伝えなければならない。そう言うことを考えているうちに私の行動範囲は日々広まって行きました。

ダンス公演がないときにはアルバータ大学にあるウクライナ学科へ出向いて、そこの図書室にあるビデオを借りて研究するまでになしました。結果としてそこのビデオを読破ならぬ覧破してしまいました。

通い詰めたのでそこを担当する叔母ちゃんと親しくなりました。彼女は私には何の手続きもせずに欲しいビデオを貸してくれたました。おまけに学部の予算で新しいビデオを購入するときに、私が見たいものがあったら予算で買うことが出来るとまでいってくれたのです。

あるとき東欧文化シリーズビデオ4巻全集を借りてそこで見ていたとき(面白い事に日本の企画のビデオ)、そこで初めてバンドゥーラの演奏を見たのです。見たかったのはあくまでもウクライナダンスでしたが、見ているうちにバンドゥーラになったので続けて見ていたのでした。

歌を歌いながらのソロの伴奏でのバンドゥーラは、、、

もうこれ以上の暗く悲劇的な演奏はないというほどで、途中でビデオを見るのを止めてしまいました。「オレはこんな暗い音楽なんか絶対にやりたくない」と思ったものです。

これがバンドゥーラとの初対面の印象でした。

今では世捨て人となりバンドゥーラに関わっているのですから人生わからないものです。
Date: 2012.02.23
Category: 私とバンドゥーラ
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佐久間チューク

Author:佐久間チューク
バンドゥーラを弾いています。この楽器を日本で普及させるのが私の夢です。バンドゥーラについての疑問や質問などの情報交換の場になれば幸いです。

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