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バンドゥーラの種類は?

現在入手可能なバンドゥーラの種類について書いてみます。

その種類は:
スタロスヴィツカ バンドゥーラの元祖。バンドゥーラの原型と言ってもいいものです。恐らくこれをコザックが担いでいたのではないのかと思われます。数年前までは絶滅寸前の楽器で演奏できる人もごく少数でした。しかしここ数年古来の楽器を復活させる動きが出てきたお陰で、自分でこの楽器を作るワークショップが開かれています。基本的にストラップをつけて肩から下げて使います。

ごく稀に販売される事もあります。値段は大体10万円ほどです。この楽器は歌の伴奏が主体の楽器でしたが、楽器の演奏だけで高度なテクニックを発揮させている人がいます。ウクライナではこの楽器を女性が習う機会が無いのですが、(あまりに伝統的楽器故に音楽学校では女性の参加を拒否している)それを破って活躍している女性が出てきています。

ハルキウ・バンドゥーラ スタロスヴィツカを発展させたのがこの楽器。上の楽器同様体に対して平行に構えるのが特徴。両手は左右の区別が無くベースや高音部を弾ける上に右手の小指以外は全て使うので、ピアノのようにクラシックのヴィヴァルディやパガニーニを演奏する事ができます。北米におけるバンドゥーラの原型がこれに当たり、戦中戦後にはホンチャレンコ兄弟がこの楽器を発展させました。

しかし現在この楽器を作っている人はアメリカに一人(現在自動切削機械を導入中)とカナダに一人います。カナダのヴェッツル氏がこの楽器を製造販売をしています。値段は知らないのですが20万円以上とのことです。ボディがグラスファイバーのバンドゥーラもあります。リヴィウのバンドゥーラ工場では昨年からこのモデルを復活させましたが、変調機能は付いていません。

キーウ・バンドゥーラ 現代バンドゥーラの代表的存在。数も奏者も圧倒的に多い。演奏方法は膝の間に挟んで体に対して垂直に構えます。右手は小指以外全部、そしてベースの左手は人によって2~3本を使います。楽器の種類は大きく二つに分かれます。一つはチェルニーヒウで作られた楽器ともう一つはリヴィウで作られた楽器。それぞれに変調機能が付いたモデルと付かないダイアトニックのモデルがあります。
バンドウルナ・ラズモヴァチェルニヒヴ・シェヴチェンコ・モデルリヴィウ・キーウ・モデル
写真左から、ソザンスキー先生とラズルケヴィッチ先生、チェルニーヒウ・バンドウーラ、3台のリヴィウ・バンドウーラ


このブログでは基本的にこのキーウ・スタイルを中心に話しを進めています。
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Date: 2012.02.28
Category: 楽器について
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バンドゥーラ小史

未知なる物はこれから発展する可能性を秘めています。

バンドゥーラはついこの20年前までは国外で見ることが難しい楽器でした。それはウクライナが某支配国によって統制され、人々はその支配者の決めたルールに従うしか生きていく道が無かったからです。それでも見ることが出来たのは社会主義化された祖国の呪縛から逃れ、新天地を目指していつの日かまた故郷へ帰ることを信じた、初代移民たちの苦労の産物でもあります。

寅は死して皮を残し、人は死して楽器を残す。

バンドゥーラも初代の移民たちが祖国から運んだ物は北米に残っています。しかしそれらはハルキウ・バンドゥーラと呼ばれる演奏方法の若干異なる楽器です。その移民たちはアメリカのデトロイト周辺に集まり、現存するウクライナ・バンドゥーラ・コーラスと言うグループを作りました。しかし楽器を作る人がきわめて少数で尚且つ早い時期に亡くなってしまったらしく、ハルキウバンドゥーラの製造もそれで終わってしまいました。(現在カナダアメリカに計二人います)

恐らくその後を引き継いだ形で現在私たちが一番多く目にする楽器は、別のページに書いた1960年代からチェルニヒヴで作られたバンドゥーラです。その普及率は凄まじくて北米でバンドゥーラといえば、この楽器を意味すると言ってもいいでしょう。アメリカでは一番ウクライナ移民の多いニューヨークで1970年代にバンドゥーラ学校が開設され、たくさんの演奏家達がその楽器でとともに世に送ることができました。今では先のデトロイト周辺にある森をバンドゥーラを教えるために買い取り、1979年から今日まで毎年夏になるとバンドゥーラキャンプが開催されます。

カナダの方は実はエドモントンにも25~30年程前にはバンドゥーラアンサンブルがあり、たくさんの奏者と演奏する機会があったそうですがその多くは東のトロント方面へと散っていってしまったと言う事です。その為かトロント周辺にはバンドゥーラ奏者がおおく、中でも世界的に有名なヴィクター・ミシャロウというバンドゥーラ奏者がカナダのアカペラを指揮し、2年前から独自のバンドゥーラキャンプを行っています。このように北米の東部にはバンドゥーラを弾く人が集中しており、バンドゥーラの教育にも積極的です。

次が南米ブラジルです。意外に思うかもしれませんが日系移民同様にウクライナ人もこの地で頑張っていて、伝統文化である踊りはもとよりバンドゥーラの数も多いのです。

日本でのバンドゥーラの初代は1974年に日ソ(日本とソビエト連邦共和国)親善フェスティバルと言うタイトルで初来日を果たしています。今の日本ではバンドゥーラは3人のウクライナ女性によって広められています。日本でのバンドゥーラの名前を広めた第一人者は、このブログを見に来ている人でしたらもうだいたい名前を知っていると思います。ですから有名な人はここであえて触れずに、私が個人的に知っている人の名前を挙げます。

カテリーナ・グジーさんです。私が下手に説明するよりもリンクへ行って見てください。そして日本人でバンドゥーラを購入したこの人も第一人者だと思います。ウクライナへバンドゥーラを買いに行ってしまうという凄い人です。他にもミクシーで知り合った人がカンテレと言う北欧の楽器をやっており、バンドゥーラの普及にも積極的に働いてくれている人がいますが、彼もバンドゥーラを5台ほど所有していて、興味のある人に触れてもらうべくバンドゥーラ講座を開いています。

駆け足でウクライナ以外の国の状況について書いてみました。こうなると当然ながら本国の状況も必要になりますね。

残念ながらヨーロッパ諸国についてはよく分かりません。
Date: 2012.02.27
Category: バンドゥーラのお国事情
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私の楽器、チェルニーヒウ55弦

バンドゥーラを始める人がほとんど例外なく手にする楽器がこのチェルニーヒウ工場が作ったキーウモデルです。
チェルニヒヴ55弦楽器佐久間チェルニーヒウ55

わたしはこの楽器をカナダのエドモントン市で新品同様で手に入れました。実はエドモントンでは新品のバンドゥーラを手に入れるのはそれほど難しい事ではありません。バンドゥーラはほとんどの場合人の手によってウクライナから運ばれてきます。ウクライナが独立してから特にその傾向があります。

大概自分の娘に弾かせたい、孫に弾かせたいなどの理由で、これまた判で押したように同じなのです。しかしバンドゥーラを弾いている人はだれもいない、教えてくれる人もいないでは続けようが無いわけです。(実際は風前の灯ながらいますが、、、)

都市伝説は何処でも一緒です。特に情報の少ないウクライナでの、おまけにバンドゥーラとなれば尚更です。ウクライナでは、一家に一台くらい置いてある、普段から人々が親しんでいるなどと思いがちです。しかし実情は一家に一台どころがウクライナの楽器屋にも置いていない希少楽器なのです。

私がバンドゥーラを始めたときには楽器をレンタル(詳しくは別の機会に)していたのですが、何年も経ってバンドゥーラ・アンサンブルに参加するようになってようやく自分の楽器を手に入れました。グループのリーダーが自分の教会で張り紙をしたところ、すぐに楽器を売りたいと言う人が見つかって私のものになりました。値段は当事で$200カナダドル。だいたい日本円で2万5千円くらいだったでしょうか?激安でした。袋から楽器を出すと漆の香りがするくらい使われていなかったものです。

この楽器は現在一番良く見かけることができますが、それはそのはずこの楽器は1960年代後半から製造を止めた1991年までの間に、3万台の楽器を作ったということです。(ウイキペディア

この楽器の基調はト長調(G)です。高音部は高いハイGから下がってきてD#まで。ベースは高いCから下がって低いC#まであります。私はこの楽器を日本でバンドゥーラの普及に力を注いでいる方に譲ったので、詳しい事が段々分からなくなってきました。ただし北米で使われていた場合はベース弦の調律が異なります。

北米への移民はハルキウバンドゥーラを持って来たと言う背景から、楽器の調律が本国のウクライナとの進化の違いで別れてしまいました。北米では同じ楽器でも全音階(ダイアトニック)として利用する事になり、ベースの配列が高い方のベース弦Eから下がってロウAになります。

弦は12本なのでオクターブの違う同音がいくつか存在します。どちらがいいかは一長一短あります。私も最初はこれで教わりましたが、現在はベースをウクライナ式半音階(クロマチック)で使っています。この楽器の、特にベースをチューニングするときは注意が必要です。(別の機会に)

写真を良く見ると高音部の弦の配列に何箇所かの隙間が見えます。これが手のポジションを分かりやすくするために利用されるので、この楽器は特に初心者に向いていると言えます。この隙間に親指を入れるとそれがソの音(楽器の基音)になるので、たくさんある弦の中でもポジションを見失う事無いように出来ている訳です。

この楽器は古いものほど重量が軽くてよい音が出る傾向にあります。逆に新しいものほど楽器の質はあまり好ましくなく、重量が重いので重さを誇るような事態になって来ます。可能であれば古い楽器をお勧めします。詳細はまた別の機会に。
Date: 2012.02.25
Category: 楽器について
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#5バンドゥーラとの出会い

電話に出たダンスカンパニーの受付嬢が私に質問した。

「ウクライナダンスの経験はありますか?」

ウクライナダンサーとなってステージ上空を飛び跳ねて、さてはコサックダンスの中腰で足を交差するダンスで、1万人の会場から大喝采を浴びる、高級外車から巨大劇場のレッドカーペットの上へ降りると、女の子からキャ~キャ~言われ追いかけられて、、、

そう言う私のささやかな夢が上の質問で木っ端微塵となった。

考えてみたら当たり前ですね。トップグループが人を採用するためには経験が無ければ勤まらない。そんな事も忘れてしまうくらいに私はウクライナダンスに陶酔していたのです。

「ウクライナダンスの経験はありませんが日本舞踊ならできます」(因みに盆踊りはプロ級)すると受付嬢は「バレエの基礎はありますか?」と聞いてきた。幸い私はタップダンスの基礎とジャズダンスの基礎をある程度習ったことはある。

バレエは、実は何を勘違いしたのかニューヨークでタップを習ったついでにバレエの基礎を一日だけ受けた。(あのときの恥ずかしさはとても説明できない。何せ30人くらいの美女に混じってたった一人の日本人だから目立つ目立つ。おまけに慌てて買ったバレエ用のタイツのサイズが合っていなくて、色も白で、、、分かる人には分かる)

二大トップのウクライナダンスを諦めなければならなかった。次点のグループは返事をくれないのでどうしようもない。しかし先の受付嬢はアダルトグループを薦めてくれた。アダルトとは、要するに社会人ウクライナダンサーの集まりなのです。

トップを夢見ていた私にとっては大変な屈辱ではあったが、背に腹は変えられぬ。とりあえず見に行くだけ行ってみたのである。しかし期待と裏腹に大切な男性のソロは無くて、私の希望していたアクロバティックな、飛び上がったり、まわったり、コサックをするダンスとは程遠いい。

作戦を練り直す事にした。先ずは通える範囲にあるウクライナダンスカンパニーをリストアップし、片っ端から連絡をしていけばいいと思った。幸いエドモントンにはそう言う情報がそれなりにある。もう10年以上も前でしたが、その頃でさえ30以上のカンパニーがあった。グループを調べて名前、場所、電話番号を書いて、それに従って電話し続けてみる。

数箇所から色よい返事があった。興奮を抑えきれずにその場所へ向かうと、どうも様子が変でなにやら親子連れが目に付く。週末だからなのかな~~?と思っているうちにここは幼児のためのウクライナダンスカンパニーである事が分かった。

トップグループを諦めた理由はウクライナダンスの経験が無いためなのでした。ならばここで経験を積んで行けば文句はあるまい!そう思って入団を決めようか考えているうちに一つの張り紙が目に付いた。

「バンドゥーラ教えます」

「けッ!あの根暗の楽器か。習いたい奴なんかいないよ~ん」そう心で思った私は、いかにして子供のグループに潜入するかを検討し始めたのだった。
Date: 2012.02.24
Category: 私とバンドゥーラ
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#4バンドゥーラとの出会い

ウクライナダンスをやることにしました。

ウクライナ文化の感動を日本に伝えるにはホームページを立ち上げるしかない。しかし立ち上げたとしてもウクライナ文化に対しての疑問が次々と出てきてしまう。もとより舞踏を観劇しているだけなのでそれ以上の深い部分について掘り下げる事ができない。

そう、ウクライナダンスをやるしかないのだ。単純明快な私は思い込みも激しく、夢はトップダンサーになることになってしまった。そうと決まれば話は早い。トップダンサーなのだからトップグループに入るのが近道です。

ウクライナダンスの状況について説明します。ウクライナダンスは本国ウクライナが一番多いと思うのは間違いです。質量ともにカナダが一番。理由はウクライナ移民が多いのもその一因です。もう一つはカナダという国がそれぞれの移民の国の文化を大切にする姿勢が後押しをして、コミュニティの文化遺産保護の姿勢にある。

例えば、私が初めてウクライナへダンス講座で行った2005年には、アルバータ州は助成金として飛行機代くらいはポンと出してくれたのです。その他、カナダにおける巨大なウクライナ祭りも、グループの海外遠征公演も、CDの作成やイベントの主催事業も、その多くを助成金で賄えるという点が非常に大きい。

もう一つはウクライナから移民してきたダンス関係者がカナダ西部に多いというのもあります。その逆の現象としてカナダ東部はダンスに弱いが世界的なバンドゥーラ奏者がいて、バンドゥーラのレベルは非常に高い。翻ってエドモントンやアルバータにはバンドゥーラを弾く人が、もう本当に片手で足りるくらいに少ないのです。

エドモントンのトップクラスのウクライナダンスグループに電話をかけることにしました。一番はシムカ。名実ともにトップクラスであり、そのダンスを観てしまったらもう中毒になるほど。エドモントンに住むカナダ人でウクライナについて何も知らない人でも、ウクライナダンスの事を「シムカ・ダンサー」と言うほどです。

そして次が前回ビデオを紹介したチェルモッシュ。ここのグループの特徴は伝統的な踊りしかやらないところ。上のシムカなどはシンデレラの話をウクライナダンス風にアレンジしたりしているけれど、伝統を重んじるならここ。「チェルモッシュ」

そして次点としてヴォホンヴォリャなどがあります。電話をかけて見て驚いた事は、シムカもチェルモッシュも事務体勢がしっかりしていて電話での応答もプロであった事です。なぜかというと次点のヴォホンやヴォリャは何度電話しても留守番でかけなおしてくれなかったからです。(偉大なダンサーを参加させるチャンスを失ったわけです)

ということで焦点は2大トップのシムカ(ホームページ)とチェルモッシュ(ホームページ)になりました。

しかし事態は予期せぬ方向(または当然の帰結)に向かいました。
Date: 2012.02.24
Category: 私とバンドゥーラ
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#3バンドゥーラとの出会い

ウクライナダンスを観るたびに躍動感に浸ることができた。
チェルモッシュ・ウクライナ舞踏団・エドモントン

この感動を何とか日本に伝えなければならない。これが本物のコサックダンスだという事を伝えなければならない。コサックダンスとはウクライナダンスそのものであることを伝えなければならない。そう言うことを考えているうちに私の行動範囲は日々広まって行きました。

ダンス公演がないときにはアルバータ大学にあるウクライナ学科へ出向いて、そこの図書室にあるビデオを借りて研究するまでになしました。結果としてそこのビデオを読破ならぬ覧破してしまいました。

通い詰めたのでそこを担当する叔母ちゃんと親しくなりました。彼女は私には何の手続きもせずに欲しいビデオを貸してくれたました。おまけに学部の予算で新しいビデオを購入するときに、私が見たいものがあったら予算で買うことが出来るとまでいってくれたのです。

あるとき東欧文化シリーズビデオ4巻全集を借りてそこで見ていたとき(面白い事に日本の企画のビデオ)、そこで初めてバンドゥーラの演奏を見たのです。見たかったのはあくまでもウクライナダンスでしたが、見ているうちにバンドゥーラになったので続けて見ていたのでした。

歌を歌いながらのソロの伴奏でのバンドゥーラは、、、

もうこれ以上の暗く悲劇的な演奏はないというほどで、途中でビデオを見るのを止めてしまいました。「オレはこんな暗い音楽なんか絶対にやりたくない」と思ったものです。

これがバンドゥーラとの初対面の印象でした。

今では世捨て人となりバンドゥーラに関わっているのですから人生わからないものです。
Date: 2012.02.23
Category: 私とバンドゥーラ
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ウクライナでの通常レッスン

ウクライナでバンドゥーラのレッスンを受ける。

バンドゥーラのレッスンを最後に受けたのはもう2年前の2010年だった。ウクライナへ引っ越してきてもう半年以上になるけれど、生活が不安定でレッスンを受けるような状況ではなかった。今でも不安定ではありますが時間はあるのでやるべきことをやらなければならないということで、今日からレッスンを受け始めました。

これまでにウクライナでレッスンを受けたことはありましたが、ここへ住んで定期的にレッスンを受けるということにある種の緊張感がありました。しかしそれは考えすぎで先方も心配せずにきてくれといってくれた。丁度これから春が来るので迎えるのにもいいと思っていたところでした。

今日最初の授業は、というよりは「友達だから初回は無料」と言ったので笑ってしまった。先ずはこちらの練習パターンを見てもらってそれについてのコメントです。私の場合はある程度弾けるようになってからバンドゥーラを習う環境が整ったのがこれが初めてで、ほとんどの場合我流で通していた部分があります。それを直してくれたのがアメリカのバンドゥーラキャンプであり、ウクライナでのレッスンだったのです。(カナダ初期のレッスンについてはまた別の機会に)

やはり基礎を習うと言う事の大切さを痛感しました。私の場合どうしても緊張が伴うので腕や指に力が入りすぎる、リラックスして音を出す事ができていない、いつも手にミカンを持っているようにやわらかく、そして強く弾く様に再三いわれました。

実はこれと同じアドバイスを日本で受けた事があります。日本に3人いるウクライナ人バンドゥーラ奏者のうち二人と知り合う機会があり、そのうちの一人に会う度に指にと腕に力が入りすぎている、もっとリラックスして弾かないと駄目など。やはり実力のある先人の言う事は正しいと改めて思いました。

教わると言う事は自分の持っているものを、あえて言えば、壊されて、納得させられ、修整させられる痛い作業であり、それを受け入れないと上達はできないプロセスなのですね。英語でノーペイン、ノーゲインと言う言葉がありますが、まさに「痛みなくして上達なし」当為ことを改めて実感しました。

でも先生は友達でもありいろいろな話も出来て、その上また目からうろこも落ちたし楽しかった!

もっと早くレッスン再開すればよかったと思いました。
Date: 2012.02.22
Category: レッスン
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#2バンドゥーラとの出会い

ウクライナダンスの素晴らしさは、それぞれの出し物がウクライナの地方色を取り入れていることです。ウクライナはもともと民族の集まりですから、そこにはいろいろ違った文化が存在します。

当然ながら衣装が違う、色合いが違う、歌が違う、音楽が違う、もちろん踊りも違う。それで一つの公演でいろいろな種類のウクライナ民族色を楽しめるのです。

今ではユーチューブで多くの踊りを見ることが出来ますが、その当時は足を運ばなければ見ることが出来ません。そんなわけで私は幼児のダンス発表会も含め、可能である限りあらゆる催しに通ってしまったのです。

その甲斐あっていろいろなことを学びました。だいたいのパターンがあるわけです。最初のダンスは「プリヴィート」と言って歓迎のダンスであり、最後にはパンと塩を差し出します。
プリヴィートのラーシャ
(カナダにある巨大プリヴィート像で名はラーシャ。パンと塩をもって皆様を歓迎する)

陸地であったウクライナで塩は貴重品でした。それでも来客をもてなすため一家の一番の若い娘がルシニク(ウクライナの刺繍の入ったタオルのような布)に塩を乗せたパンを置いてそれを客人にもてなして迎える風習がありました。
ルシニク
(写真はウクライナ・フッツル民族の伝統的な結婚式の様子です。ルシニクには生活のいろいろな意味がある。二人がそれぞれが一緒に幸せな生活をしていくという象徴です)

ウクライナダンス公演ではこの歓迎のダンス「プリヴィート」から始まります。
Dauphinプリヴィート
(プリヴィート、オープニングの歓迎のダンス。中央の女性がパンと塩を差し出している。良く見ると民族毎とに違う衣装でルシニクが周りを取り囲んでいる)

それを見るたびに全身に鳥肌が立ち、何故か涙が溢れてしまうのです。
Date: 2012.02.20
Category: 私とバンドゥーラ
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#1バンドゥーラとの出会い

バンドゥーラにかかわって10年以上経ちました。
と言う事はウクライナのコミュニティーとも同様の付き合いがあるということです。

カナダに長いこと住んでいましたがその大部分は西部のエドモントン市でした。エドモントン市に住むウクライナ人のことを別名「エドモントンチューク」と言います。

ウクライナ人の名前の多くは「なになにスキー」「どこそこエンコ」「これこれチューク」そこでエドモントンに多く住むウクライナ人のことを「エドモントンチューク」と呼んだりします。

エドモントンは北米の中でももっともウクライナダンスが盛んで、その数は既に本国ウクライナをもしのぐほどになっています。ウクライナダンス協会というものがあり、インストラクター同士の会議なども開かれているほどの規模です。

エドモントンに住んである程度の芸術的アンテナを張っていれば、自然と案内が耳に入ってくるわけです。何故か東欧文化に哀愁を感じていた私は、まだよく分からなかったウクライナダンスの公演に行ってしまいました。

感動を文章で書くのはまさに筆舌し難いことですが、私は感動のあまりその場所に張り付いてしまいました。運のいい事に生演奏つきの今では珍しいカラオケ伴奏でないダンスに感銘を受けました。

笑いあり、怒りあり、コザックの戦いあり、恋愛あり、別れがあり、夫婦のいざこざがあり、女性の恋心あり、お笑いあり、もう本当に何でもありのテンコ盛りです。
ホパックDauphin
(マニトバ州のカナダ一巨大なウクライナ祭り。常設野外ステージは1万席もある)
Date: 2012.02.19
Category: 私とバンドゥーラ
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バンドゥーラとは?

バンドゥーラとはウクライナの民族楽器です。
国民楽器という言い方もします。

バンドゥーラという楽器は何処で読んだか覚えていませんが、
抱えて弾く楽器としては弦の数が最大と書かれていました。

小さい物では30数弦から現在ある最大の楽器は65弦です。
弦の数はバンドゥーラの生産地、年代、そして楽器の大きさで変わります。

弦の数が多ければいいというものではありませんが、
多ければ確かに音楽を表現する幅は増えます。

しかし弦の数が増えると弦の張力に対応できるように楽器を丈夫にしなければならず、また弦の数にあわせて楽器の幅も太くする必要があり大きく重たくなってきます。

通常私たちが目にする楽器の種類は大きく分けて2種類、
キーウスタイルとハルキウスタイルがあります。

現在の主流はキーウスタイルです。
ハルキウスタイルの末裔は北米に多いといえます。

ここでは主にキーウスタイルについて説明をします。
キーウスタイルは体に対して垂直に楽器を構えます。

そして生産地によって2社の微妙な違いがあります。チェルニヒヴバンドゥーラはウクライナのチェルニヒヴ市で作られていました。しかし1991年に楽器の製造を止めてしまったので、現在見かけるものや市場に出ているものは一律1991年までに製造された、いわゆるソビエト製の楽器となります。

下の楽器はチェルニーヒウと言う会社が作っていたバンドゥーラです。
標準型の55弦のキーウモデルです。
佐久間チェルニヒヴ55



一方、ウクライナで唯一バンドゥーラの製造を続けている工場がリヴィウ市にあります。とりあえずリヴィウバンドゥーラとしましょうか。
プリマの構え方授業中
写真はバンドゥーラ教室でレッスンを受けている私の写真です。
構え方はまずまずですが背筋をもう少し伸ばした方が良いです。
こちらの楽器は65弦の変調機能つきのキーウモデルです。
Date: 2012.02.18
Category: バンドゥーラ
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バンドゥーラ弾きのページ。

Date: 2012.02.16
Category: ウクライナ
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佐久間チューク

Author:佐久間チューク
バンドゥーラを弾いています。この楽器を日本で普及させるのが私の夢です。バンドゥーラについての疑問や質問などの情報交換の場になれば幸いです。

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